Mesoamerica

アステカ 祭祀

メソアメリカの編年 

アステカ王国の生贄の祭祀: 血・花・笑・戦 (刀水歴史全書)  岩崎 賢


第一の月 アトルカウロ 水が止まる  第二の月 トラカシペワリストリ 人の皮を剥ぐ  第三の月 トンストントリ 小徹夜会  第四の月 ウェイ・トソストリ 大徹夜会  第五の月 トシュカトル 乾燥  第六の月 エツァルクアリストリ エツァリを食べる  第七の月 テクイルウィトントリ 領主の小祭  第八の月 ウェイ・テクイルウィトル 領主の大祭  第九の月 トラショチマコ 花の奉納  第十の月 ショコトル・ウェツイ 実が落ちる  第十一の月 オチバニストリ 清掃  第十ニの月 テオトレコ 神々の到来  第十三の月 テペイルウィトル 山の祝祭  第十四の月 ケチョリ 紅鳥  第十五の月 パンケツァリストリ 旗の掲揚  第十六の月 アテモストリ 水の降下  第十七の月 ティティトル 収縮  第十八の月 イスカリ 伸長  ネモンテミ 空虚な日々  「新しい火の祭り」 


アステカ王国ではテノチティトランの心臓部ともいえるテンプロ・マヨールを主要な舞台として、一年十八ヵ月(20日x18ヵ月+5日=365日)の各月に、国家規模での重要な宗教的祭祀が催された。これらの月ごとの祭祀には、テノチティトランの王族、貴族、戦士、平民らが参加するだけでなく、ときに王国に服従する周辺部族の王たちも招かれた。
そこで行われる数々の儀礼は、戦争と農耕という、アステカ人にとってもっとも根本的な日常的行為が有していた神話的、宇宙論的な次元を、壮大、荘厳な在りかたで人々に開示するものであった。
16世紀、ベルナルディ・デ・サアグン著・『フィレンツェ文書』第二巻には、この十八の祭祀の様子が詳細に記されている。
また、サアグンとほぼ同時期に布教を行ったドミニコ会士のディエゴ・ドゥランも同様の記録物を残している。

アステカ暦参照

第一の月 アトルカウロ 水が止まる(2/14~3/5)・・・サアグンの日付と違う??
乾季(高原中央部ではおおよそ11月から4月まで続く)の終わりごろにトラロク神を祭神としてこれから始まる雨期の順調な降雨を祈って行われる祭祀である。人々は雨を司るトラロク神の住処であるテノチティトランを取り囲む聖なる山の頂上で。あるいは地表の水を司る女神チャルチウトリクエの住処である湖の、水が渦を巻いているパンティトラン(…暦の上ではヘビの日の守護神であり、またトレセーナの1の葦の守護神…)という場所で子どもを生贄として捧げる。この子どもたちは青い色に体を塗られ、ヒスイなど水のシンボルで身を飾られる。とくに頭につむじがふたつある子どもが選ばれた。子どもたちが流す涙は降雨を招来するものとされた。
アステカにおいて神々に生贄を捧げる行為は「お返し(ネシュトラワリ)」と呼ばれた。アトルカウロに始まる雨乞いの祭祀は、四番目の月であるウェイ・トソストリまで続くが、そこでは子どもの生贄は、日々、人間に水の恵みを与えてくれる神々に対する「お返し」として、もっとも価値の高いものとされた。また、この時期に人々はあらゆる場所に液状のゴム(水や大地の神々への重要なささげものであった)をたらした紙の旗を掲げる。そこで生贄となる子どもたちは「人間の紙旗」と呼ばれた。
またアトルカウロでは、一般に「剣闘士儀礼」と呼ばれる儀礼が行われる。そこでは戦場で捕虜となった一人の敵戦士が、四人のアステカ戦士と戦う。戦いの半ばで力尽きた敵戦士は祭壇の上で生贄にされ、その心臓と血が神々に捧げられる


第二の月 トラカシペワリストリ 人の皮を剥ぐ(3/6~3/25)
おおよそ春分のころ、シペ・トテク神を祭神として催される祭祀である。シペ・トテク神は植物の再生を司る神であり、図像的には人間の皮を身にまとった姿で描かれる。この祭祀では、戦争で捕虜になった戦士が生贄にされる。戦士は頭頂部の毛を取り除かれ、神官に連れられて「双子の神殿」のウィツィロポチトリ神殿の階段を登っていく。この時戦士はプルケー(…リュウゼツランを発酵させて作る酒…)を飲まされ、気分を高揚させて、自分の生まれ育った土地の素晴らしさを大声で誇りながら階段を登る。やがて階段を登りきると、戦士は台の上に寝かされ、神官がすばやくナイフでその心臓をえぐり出す。まだ脈打っている心臓は、太陽に捧げられたあとにクアウシカリ(鷲の器)と呼ばれる容器に収められる。それから戦士の体は階段の下に投げ落とされる。
その後、この戦士を捕虜にしたアステカ戦士は、生贄の血を自分の住む地域の神殿に持って行き、そこに祀られた神像の口に塗りつける。また生贄の体から皮がはぎ取られ、残りの体の部分は解体されて、アステカ戦士の親族らによって神聖な食物として摂取される。一方、はぎ取られた生贄の皮は、若者たちによって着用される。そのようにして若者たちはシペ・トテク神の「化身(生き神)」となり、集団で模擬戦闘をおこなう。この祭祀の期間が過ぎると、この皮はシペ・トテク神の神殿に納められる。
またこの祭祀では、先のアトルカウロと同様の「剣闘士儀礼」がおこなわれる。


第三の月 トンストントリ 小徹夜会(3/26~4/14)
この祭祀は、高原中央部で様々な花が咲き始めるころに、トラロク神を始めとする神々を祭神として催される。この月にも、アトルカワロの月に行われたような子どもの供儀が、雨と水の神々のためになされる。また人々は花を集めて、大地母神コアトリクエの神殿や、シペ・トテクの神殿に奉納する。
この祭祀では各集落の子供たちが重要な儀礼を行う。すなわち乳幼児から十二歳までの子供たちは、一定期間断食を行い、耳や舌に針で傷をつけてしたたる血を神に捧げる。
各地区の神官は家々をまわり、その家の子供がこの儀礼をしっかりやり遂げたことを確認すると、子どもの首や手首に色とりどりの紐をつけてやる。その紐には蛇の骨、石の玉、小さな像などがついていて、これらは子どもを下痢や熱病などの病気や、災害から守る力があると考えられていた。そのあとで人々は宴を催し、それまで断食していた子供たちは食べ物を口にすることができた。
またこの祭祀のときに、人々は御香を手にして集落の畑を歩きまわり、その煙で畑を清める。そして畑の神に、ゴム、食べ物、プルケー酒などを奉納する。


第四の月 ウェイ・トソストリ 大徹夜会(4/15~5/4)
この祭祀は若いトウモロコシの神シンテオトルとトウモロコシの女神チコメコアトルを祭神として催される。祭祀の始まる前、各地区の若者たちは四日間の断食を行い、耳や脛から採った血液を塗りつけた枝を家庭の各所に据えつけて、神々への捧げものとする。それから若者たちは畑から実り始めた若いトウモロコシを採ってきて、地区の神殿に奉納する。一方女たちはこの神殿を掃き清め、アトーレ(トウモロコシのかゆ)を神々に捧げる。
このときはまた、食べ物を詰め込んだ籠が奉納されるが、その上には焼いたカエルが乗せられる。このカエルの顔は青く塗られ、胴にはスカートのようなものが巻かれる。
この祭祀ではトウモロコシ農耕に関する重要な儀礼が行われる。女たちは播種用に保管していた前年のトウモロコシの穂を七本の束にし、紙で包んでそれに液状ゴムをたらす。女たちははこの包を背負って、チコメコアトルの神殿に赴く。途中、若者たちが女たちににぎやかにひやかしの言葉をなげかける。女たちはこれを振り払って神殿に到着し、包みを女神に奉納する。
そこで女神によって聖化されたトウモロコシの穂はその後、集落の穀倉に納められる。豊穣の力を秘めたこのトウモロコシの穂は穀倉の『心臓』とみなされた。


第五の月 トシュカトル 乾燥(5/5~5/22)
これは数ある祭りの中で中心的な祭りである。
一年の中で最も乾燥の激しい時期に、強力な創造神であるテスカトリポカを祭神として催される。まず最初にこの祭祀の始まる一年前に、戦場で捕虜となった敵戦士の中から、勇敢さや容姿、性格などに優れた若者を十人ほど選ぶ。その中で特に人品優れた一人がテスカトリポカ神の化身となる。この若者には音楽、詩、演説、振舞などについて細かい教育が施される。この教育期間が終わると若者は王によって寄進された豪華なテスカトリポカ神の装束を身にまとい、人々の前に姿をあらわすようになる。
この若者は八人の従者を従え、自らが望むところであれば神殿、広場、市場、民家まど、どこにでも赴く。テスカトリポカ神は夜中に街を練り歩くことを好むとされ、この神の化身である若者が身に着けている鈴と、若者自らが演奏する笛の音が聴こえてくると、人々は起き上がり、自らの家を清めたり、この若者のもとに駆け寄って御香を捧げたり、あるいは、「土を食べる儀礼(土を指ですくって口元につける行為)」をおこなったりする。こうして若者は約一年にわたって人々の篤い崇拝を受ける。
やがてふたたびトシュカトルの祭祀の月が巡ってくる。そして若者は、神の化身として死の運命を受け入れる。最初に若者は、花の女神ショチケツァル、トウモロコシの神のシロネン(…第八の月の祭神…)、大地の女神アトラトナン、塩の女神ウイシュトシワトルの化身(である娘)たちと結婚する。女神の化身たちは若者をさらに美しい衣装で飾りたて、慰め、勇気づける。最終日の五日前。若者と女神の化身たちは様々な場所で歌舞を披露する。最初の日はテカンマンという場所で、二日目はテスカトリポカ7の像が祀ってある場所で、三日目はテペツィンコという湖上のある場所で、四日目はテペプルコというテペツィンコに近い場所で、歌い踊る。これが済むと、若者は女神たちに湖上で別れを告げ、テノチティトランから南に数キロ下った場所にある神殿におもむく。
神殿にはテノチティトランの王族、貴族、戦士、職人や農民、商人といったあらゆる人々が集まってくる。そして、神の化身であるこの若者が、祭壇の上で死を迎える最後の瞬間を見守る。若者は神殿の階段をひとつあがるごとに、自分の笛をひとつ壊していく。やがて神殿の頂上にたどり着くと、神官たちがこの若者の体を台の上に横たえ、胸にナイフを差し込み、心臓を取り出して神々に捧げる。…この後、来年のトシュカトルにおいてテスカトリポカ神の化身として生贄になる若者がふたたび選びだされる。


第六の月 エツァルクアリストリ エツァリを食べる(5/23~6/13)
この祭祀はおよそ夏至のころ、高原中央部で雨期が始まるころに、雨神トラロクを祭神として催される。最初にトラロクの神官たちは四日間の断食を行い、それから湖岸に赴き、神殿に飾るマットやいすの材料となる葦を採取する。またこの時神官たちは湖岸でこごえるような水に入って身を清める。そして、カモやサギやツルのような鳴き声をあげながらまるでこれらの水鳥になったかのように水辺を跳ねまわる。
一方、街の中では人々は各家庭でトウモロコシと豆を煮た『エツァリ』という料理を大量に作る。そして宴に客を招いてこの料理を気前よくふるまう。また衣装を濡らした戦士と女性たちの集団が深夜から夜明けまで『エツァリ踊り』という踊りをしながら家々を訪れ、『エツァリを食わせろ』と人々に要求する。人々もまた踊ったり食べたりしながらこの夜をにぎやかにすごす。
この祭祀ではまた、アトルカワロのときと同様に、湖上のパンティトランと呼ばれる場所で供儀が行われる。神官たちがこの場所に生贄の心臓を投げ込むと、湖面が激しく波立ち、渦巻き、泡立った。

第七の月 テクイルウィトントリ 領主の小祭(6/14~7/3)
この祭祀は塩の女神であるウイシュトシワトルを祭神として催される。ウィシュトシワトルはトラロクをはじめとする水の神々の長女であり、塩づくり職人、塩売り、塩販売人などの塩に関係する人間集団の女神である。祭祀はこの集団が主体となって実施される。
この祭祀では若い女がウィシュトシワトルの化身となる。この女は波模様のついた上着をつけ、緑色のケツァルの羽根と、金色の鈴で身を飾る。両手には液状ゴムを垂らした紙旗と花で飾られた杖、そしてスイレンの花と葉で飾られた盾を持ち、これらを振りかざしながら舞い踊る。塩づくり集団の女たちは養女から老女まで、この女神とともに十日間にわたって歌い踊る。
最終日の前日からこの女たちは戦争で捕虜となった男たちとともに夜通し歌い踊る。夜が明けると、この集団はテンプロ・マヨールの『双子の神殿』へと向かう。そして女神の化身と捕虜の男たちはトラロクの神殿の階段を昇っていく。最初に男たちが生贄のなり、最後に女神の化身が神官らによって台の上に横たえられ、その胸がナイフで切りひらかれて心臓が取り出され、神々に捧げられる。こうして祭祀は終了し、最後に人々は自分の地区に帰って宴を開く。


第八の月 ウェイ・テクイルウィトル 領主の大祭(7/4~7/23)
一年の中でトウモロコシなどの主食がもっとも不足する時期に、若いトウモロコシの女神であるシロネンを祭神として催される。この祭祀が始まるころになると、メキシコ各地の農村からおなかをすかせた人々がテノチティトランに集まってくる。領主たちはチアの実と蜂蜜の入ったアトーレや、野菜や果実や蜂蜜の入ったタマーレス(トウモロコシの蒸しパン)を大量に用意し、人々に気前よくふるまう。人々は整然と列を作って並び、これらの食べ物をもらって空腹を満たす。この施しは七日間にわたって続けられる。
この祭祀では女神シロネンの化身が重要な役割を果たす。化身となる若い女は唇を黄色、額を赤に塗り、ケツァル鳥の羽根の帽子をかぶり、ヒスイと黄金のネックレスをつけ、スイレンの葉と花がデザインされた服を着て、黒曜石のサンダルを履く。こうして女神の化身となった女は水が豊富に湧き出す場所など、四つの聖なる場所を訪れる。祭りの最終日の前夜から女神とそのお供をする女たちは、女神を中心に取り囲むようにして夜通し踊る。やがて夜が明けると、若い戦士たちがやって来て、この踊りに加わる。男たちは列を作って、太鼓とほら貝の伴奏に合わせて蛇行しながら踊る。
そして女神シロネンの化身はトウモロコシの男神シンテオトルの神殿におもむく。そこでひとりの神官が女神を背中合わせに背負いあげ、他の神官が(まるでトウモロコシの茎から実をもぎ取るように)女神の首をすばやく切り落とす。そして胸から心臓が取り出され、神々に捧げられる。


第九の月 トラショチマコ 花の奉納(7/24~8/12)
この祭祀はおおよそ高原中央部でトウモロコシの初穂が実り始める時期に、アステカの戦神・太陽神であるウィツィロポチトリを祭神として催される。
祭祀の二日前になると、人々は山野に赴いて、ダリア、マグノリア、スイレンなど様々な花を集め、飾り物を作る。そしてウィツィロポチトリを始めとする神々の神殿を、この花飾りで飾りたてる。それから七面鳥や食用犬などの肉でタマーレスを作り、宴を開く。
祭祀の最終日になると、若く勇敢な戦士たちがテンプロ・マヨールのウィツィロポチトリ神殿の中庭で太鼓の伴奏に合わせて踊る。
『アウィアニ(歓喜する者)』とと呼ばれる女たちもこれに加わり、男二人が女一人を両脇から抱え込むようにして組んで、飛び跳ねたり回転したりすることのない、「蛇がすすむように」静かで動きの少ない独特の踊りを、日が暮れるまで踊る。
 ※・この祭祀に参加する『アウィアニ』とはアステカにおける踊り子、売春婦、巫女の性格を併せ持った女声集団のこと。またアステカの祭祀にはしばしば『ワステカ』と呼ばれる男性集団も参加した。ワステカたちは大きな男根の飾り物を身につけ、踊りや楽器の演奏を受け持った。諸祭祀においてアウィアニとワステカは宇宙の聖なるセクシュアリティ・エロティシズム・豊穣性を表現する役割を担っていたようである。


第十の月 ショコトル・ウェツイ 実が落ちる(8/13~9/1)
この祭祀はおよそ秋分のころ、火の神シウテクトリを祭神として催される。まず人々は先のトラショチマコの祭祀が終わると、山から四十メートルもの大木を切り出してきて、幹から枝を切り落とし、それを綱で引きずって、テンプロ・マヨールのシウテクトリ神の神殿まで持ってくる。それから戦士たちが、てこの棒などを用いながら力を振り絞ってこの大木を神殿の中庭に立てる。最終日の二日前になると、一旦この大木は慎重に横たえられる。そして人々はアマランサスとトウモロコシの粉を練って塊にし、黄色いくちばしを作り、さらにこれに緑色の鳥の羽根をつける。こうして出来上がった「鳥」は大木の頂上に取りつけられ、戦士たちは再びこれを中庭に立てる。
最終日の前夜、アステカ戦士たちは自らが捕虜とした敵戦士を連れてこの中庭にやって来て、夜通し歌い踊る。夜が開けると戦士たちは整列し、一人一人、火の神の神殿の階段を登っていく。そして衣装をすべてはぎ取られ、燃え盛る炎の中へ放り込まれる。それから鉤棒で火の中からひきずりだされ、台の上に横たえられて胸を切りひらかれ、取り出された心臓が火の神に捧げられる。
この供儀が終わり、昼になると、戦士たちは中庭に立てられた大木の前に集まる。そして合図とともに大木に殺到し、これをよじ登る。最初に頂上に達した者は「鳥」の頭の部分、次の者は羽根、最後の者は尾をもぎ取り、残りの部分を地上に向けて投げ落とす。下にいた者たちは押し合い、殴り合いながらこれを奪い合う。この騒ぎが終わると、大木は勢いよく引き倒される。そして人々は、自分が獲得したものを各家庭に持ち帰る。



第十一の月 オチバニストリ 清掃(9/2~9/21)
この祭祀は、高原中央部においてトウモロコシの本格的な収穫が始めるころに神々の母とされる女神トシを祭神として催される。この祭祀が始まると、人々は家庭や町の通りを箒で掃き清める。また水路や水場などのゴミも取り除かれるなど町全体の大掃除がなされる。この月の最初の五日間がすぎると、トシの化身となった若い女、女の治療士、産婆などからなる女声集団が踊りを奉納する。女性たちは四つの列を作って両手に花を持ち、その手を上げ下げするだけの、歌ったり声を出したりすることのない静寂の踊りを踊る。
この踊りが八日間続けられたのち、女たちはふたつの集団に別れ、葦やサボテンの葉や花を固めて作った玉を投げ合って戦う。この模擬戦が四日間続けられたあと、トシの化身は女たちに囲まれて市場へと赴き、その中心部で食べ物を人々にばらまく。そして深夜になると、トシの化身の供儀が行われる。トシの化身である若い女は、神殿の台の上で頭を切り落とされ、その皮が剥がれる。この皮を壮健な男性の神官がかぶり、こうして新しいトシの化身が誕生する。また、この皮の腿の部分はトウモロコシの神 シンテオトルの化身の仮面にされる。
新しいトシの化身はワステカと呼ばれる男性集団に伴われて、ウィツィロポチトリ神殿に赴いて自ら供儀の儀礼を執り行ったり、自分の息子であるシンテオトル神の化身を訪問したりする。最後にトシは(双子の神殿とは別の小規模な)ウィツィロポチトリ神殿の上に立ち、そこから様々な色のトウモロコシの殻粒やカボチャの種をばらまく。下にいる人々はこれに殺到し、荒々しく奪い合う。


第十ニの月 テオトレコ 神々の到来(9/22~10/11)
この祭祀はアステカのあらゆる神々のために催される祭祀である。この月の最終日の五日前に、人々は葦で作った飾り物で町のいたるところにある神々の祭壇を飾り付ける。そしてそこにトウモロコシの粒のつまった籠や四本のトウモロコシの穂を奉納する。
やがて様々な神々がテノチティトランの都に集まってくる。最初に創造神テスカトリポカ、それから商人の神ヤカテクトリ、火の神シウテクトリなど、次々と神々が到来する。この到来を確認するのは、経験を積んだ老神官である。老神官は祭りの期間、マットの上に置かれた平たく円い形のトウモロコシ粒の塊を注意深く見守る。老神官はこのトウモロコシ塊の上に特定の神が立つ姿を認めると、トウモロコシ塊を粉々に打ち砕き、「神がいらっしゃったぞ」と大声で人々に告げる。すると他の神官たちはほら貝を吹き鳴らして賑やかに神を出迎える。また人々は到来した神に、アマランサスの種に蜂蜜を加えて作った食べ物を捧げる。
この祭祀ではまた、戦争で捕虜となった戦士を火の中に投げ込む供儀が行われる。この戦士たちはリスやコウモリなどの姿形で火の前で踊り、それから神官たちによって火の中に投げ込まれる。


第十三の月 テペイルウィトル 山の祝祭(10/12~10/31)
雨神トラロクが住むとされるテノチティトラン周辺の山々に捧げられる祭祀。初めに人々は木の幹や根で、蛇の形の像と、エカトトンティ(風の子)と呼ばれる人型の像を作る。さらにこれにアマランサスの種をこねたものを肉付けして、一番上に顔のついた山のような形の像を作る。これらの「山の像」は、雨神トラロクによって命を召された者たち、すなわち溺死した者、雷に撃たれて死んだ者、火葬でなく土葬にされた者たちのために作られる。
最終日の前夜、人々は笛を吹きならしながら「山の像」を「霧の家」と呼ばれる場所に運び込み、水滴を振りかけて清める。それから「山の像」を家に持ち帰り、液状ゴムや紙旗で飾りたてる。翌朝、人々は「山の像」に果実入りタマーレス、煮物、食用犬や七面鳥の肉を捧げる。
この祭祀では四人の女と一人の男が、神々の化身として生贄にされる。液状ゴムをたらした紙製の衣装をまとった化身たちは、輿に乗せられてトラロクの神殿へ運ばれる。そして台の上に横たえられ、胸が切り開かれ、心臓が神々に捧げられる。この供犠が終わると「山の像」が壊される。人々はこの破片を屋根の上で乾燥させ、日々の食糧にした。


第十四の月 ケチョリ 紅鳥(11/1~11/20)
この祭祀は狩猟と戦いの神であるミシュコアトルを祭神として催される。この月の最初の五日間が過ぎると、アステカ戦士たちは大規模な鹿狩りの準備にとりかかる。
一日目、人々は水辺から葦を刈り取ってきて、ウィツィロポチトリ神殿に奉納する。二日目、神殿の中庭で火を使ってこれらの葦をまっすぐにする。三日目、戦士たちは自分の耳から血をたらして額に塗りつける。四日目、投げ矢の先端部を作り、これを葦の柄にとりつけ、二十本のたばにして神殿に奉納する。この数日間は戦士たちは酒や女を断ち、作業に専念する。
五日目になると彼らは戦死した仲間たちの墓に赴く。そして乾燥したトウモロコシの茎に旗と盾、戦士のマント、下帯、ハチドリ、鷺の羽根を飾り付けて墓の前に立てる。また供物として四本の投げ矢と二つのタマーレスを火の中に投げ込む。
六日目に大規模な鹿狩りが行われる。戦士たちはサカテペクと呼ばれる場所に赴き、山野全体を切れ目なく取り囲んで鹿、コヨーテ、ウサギなどの動物を一ヵ所に追い込んでいく。そして首尾よくこれらの動物を狩ると、その首だけを胴体から切り離して街へと持ち帰る。鹿とコヨーテを狩ることに成功した戦士は王から褒美をもらう。
その後ミシュコアトルの神殿で供儀が行われる。まず戦争で捕虜になった四人の敵戦士が狩られた鹿のように両手両足を縛られて神殿の上に運ばれ、台の上に寝かされて胸を切りひらかれる。最後にミシュコアトルの化身が生贄にされる。


第十五の月 パンケツァリストリ 旗の掲揚(11/21~12/10)
パンケツァリストリは15番目の月(冬至の頃)行われる祭祀で、双子の神殿の南側のウィツィロポチトリ神殿を中心舞台として実施された。それは太陽神にしてアステカ人の守護神でもあるこの神の、闇と大地の神々に対する勝利の神話を再現する儀礼であった。サアグンの『フィレンツェ文書』にはこの神話が次のように記されている。

コアテペクと呼ばれる山があり、そこにコアトリクエという女が住んでいた。コアトリクエはセンツォンウィツナワ(という400人の兄弟たち)と、彼らの姉のコヨルシャウキの母であった。


第十六の月 アテモストリ 水の降下(12/11~12/30)
この祭祀は雨神トラロクを祭神として催される。この時期はまだ乾季の最中だがときに一時的な雷雨がおこることがあった。そのようなとき人々は「トラロクがおりてくる」と言いあった。人々はアマランサスの種でテノチティトランを取り囲む主要な山々――ポポカテペトル山、イスタクシワトル山、トラロク山など――の像を作る。これに目と鼻がつけられ、紙、液状ゴム、黒曜石、リュウゼツランの繊維などで飾り付けがなされる。トラロク神殿の神官たちは蛇の形をした香炉で御香を焚いて神殿のあちこちを清め、舌や耳や性器などから血を流して神々に捧げる。中庭にはゴムのついた紙旗で飾られた柱が立てられ、これにタマーレスやプルケー酒を供える。
最終日の前夜から神官たちは太鼓やほら貝、笛の伴奏に合わせて歌い踊る。そして夜が明けると山々の像の供儀を行う。神官たちは女たちが編み物に用いる棒で山の像の「心臓」を取り出し、首の部分をもぎ取って「殺す」。そして体の部分をバラバラにしてこれをみんなで食べる。それから山の飾り物はすべて神殿の中庭で燃やしてしまう。


第十七の月 ティティトル 収縮(12/31~1/19)
この祭祀は「我らの母」と呼ばれる老女神イラマテクトリを祭神として催される。この祭祀では一人の女がこの女神の化身となる。この化身は白い衣服の上に小さな貝のついた腰巻をつけ、白いサンダルを履く。一方の手に鷲やサギの羽根で飾られた盾、もう一方には織り棒を持つ。そして老いた男たちが太鼓に合わせて歌うなか、ひとりで踊りを踊る。正午になると神官たちはこの女神の化身を神殿の上に導き、台の上に寝かせてその胸を切りひらき、心臓を神々に捧げる。さらに頭部が切断され、それを手にぶら下げた者を先頭にして、人々は歌い踊る。
翌日、若者たちは紙切れや植物の穂を詰め込んだ軽い袋を用いて、お互いを叩き合う遊びをする。少年たちは油断している少女を見つけると、皆で取り囲んで袋で叩き、「我らが母よ、こいつは小さな袋だよ」といって逃げ去る。それゆえ少女たちはこの祭祀の月には周囲に注意を払いながら街を歩いた。
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第十八の月 イスカリ 伸長(1/20~2/8)
この祭祀は火の神シウテクトリを祭神として催される。シウテクトリ神殿の神官たちはこの神の像の頭や胴体をケツァルの羽根で飾り付ける。また頭には二本の火おこし棒が角のように取りつけられる。この月の十日目になると、神官たちは深夜に新しい火を起こし、燃え盛る炎の前にこの神像を据える。夜が明けると若者たちがさまざまな小動物――鳥、蛇、トカゲ、魚、カエルなど――を神殿に持ち寄る。神官たちはこれらの小動物を炎の中に投げ込み、神への捧げものとする。
この祭祀では四年に一度、シウテクトリ神の化身の供儀が行われる。人々は一人の若者を水場に連れて行き、その身を水で清め、紙の飾りで飾りつける。そしてこの神の化身とともにシウテクトリ神殿に赴き、歌と踊りを奉納する。正午になると、数人の捕虜戦士を連れたバイナル神(ウィツィロポチトリの分身)の化身がこの神殿にやってくる。
バイナル神は捕虜戦士らを生贄にしたあと、最後にシウテクトリ神の化身を生贄にする。この供儀が終わると豪華に着飾った王や貴族らが神殿で厳かな踊りを奉納する。またこの月には人々は子供たちの耳に穴をあける。そして子供たちの首や手足を引っ張り伸ばして、健やかな体の成長を祈願する。


ネモンテミ 空虚な日々(2/9~2/13)
この五日間は儀礼はなにも行われず、都市全体がすべての活動を慎む。ネモンテミは一年の中で非常に不吉な期間とされた。アステカでは一年の一日一日は二百六十日の祭祀暦に基づいて、特定の神の影響下、支配下にあるとされた。しかしこの五日間はそうした一日一日を司る神が不在となる周期であった。それゆえこの混沌とした期間にこの世に生まれた者――ネントラカトル(うつろな人)などと呼ばれた――は「運勢・天命」や自分を守護する神を持たないということになり、その人生はあらゆる不幸と災難にとりつかれ、戦場では捕虜になり、異性に溺れるとされた。
この期間中、人々は商売や結婚などは行わず、また行政や治安に関わる公的活動も停止した。誰かが病気になると、その人は健康を回復できないとされた。またこの期間に何かにつまづいて転ぶことは非常に不吉であるとされ、人々はただ家にこもってじっとこの五日間が過ぎるのを待った。


以上が十八の祭祀の概要である。これら一年(三六五日)周期の祭祀はテノチティトランにおけるもっとも基本的な宗教行事であるわけだが、それ以外にもより大きな時間周期で催される祭祀がいくつか存在した。先に十八番のイスカリの月では四年に一度神の化身の供儀が行われるということを記した。この四年周期に加えてアステカはさらに八年周期、五二年周期の祭祀が存在した。五二年はアステカの儀礼周期としてはもっとも大きなもので、この周期において「新しい火の祭り」と呼ばれる大祭が実施された。


五十二年に一度の「新しい火の祭り」トシウモルピリアの祭
「新しい火の祭り」が催される五十二年という周期はアステカで使用されている二種類の暦、すなわち365日の太陽暦と260日の祭祀暦に関係している。この二つの暦は連動している。すなわち、365個の歯を持つ歯車と、260個の歯を持つ歯車がかみ合って、一日にひとつずつ進んでいくとする。そのとき最初にかみ合っていた二つの歯が再びであうのはちょうど52年後である。
アステカ人にとってこの周期は、私たち現代人にとっての「一世紀」あるいは「一千年」のような特別な意味を帯びた時間の区切りである。
「新しい火の祭り」はわかっている限り少なくとも1454年と1506年に、パンケツァリストリ祭祀の月(15番目の月)に実施された。その意味ではこの大祭を、52年に一度巡ってくる特別なパンケツァリストリ祭祀とみなすことも可能かもしれない。

まず最初に人々は、街中のあらゆる場所の火を消す。そしてあらゆる日用品が棄てられ、家の中が空っぽにされる。家屋に祀られている神々の像さえ、湖の中に投げ捨てられる。このときにはまた、火の神シウテクトリが鎮座する聖なる場、すなわち三つの石で作られた家屋内の炉(かまど)も投げ捨てられる。
夕刻になると火の神の神官たちがテノチティトラン近郊のウィシャチテカトルという丘の頂上にある神殿におもむく。やがて陽が沈むと神官たちは「火起こしの錐」(ママルワストリ)と呼ばれるアステカの星座(…プレアデス星団の近くのアルデバランが含まれる…)が夜空の一地点を通過する瞬間を静かに待つ。
一方、すべての光を失い、夜の闇に包まれたテノチティトランの街では人々は恐怖に打ち震えながら「その瞬間」を待ち続ける。もし「火起こしの錐」が無事に夜空の一点を通過したなら、山頂の神殿では神官によって生贄の儀式がとりおこなわれ、「新しい火」が点火されるはずである。
しかしもしそれがうまくいかなかったら――世界は闇に飲み込まれ、鋭い爪を持った魔物ツィツィミメが人々を襲い、むさぼり食らうことになるだろう。サアグンの『フィレンツェ文書』にはその瞬間の様子が次のように記されている。

すべての人々が屋根の上に登った。誰も下の地面にいなかった。人々は屋根の上に座った。
…人々は頭をあげてウィシャチテカトルの山頂をじっと見守った。あらゆる者が緊張の中で、新しい火がもたらされる瞬間を、炎が昇り光を放つ瞬間を待った。わずかな時が過ぎた時、光を放ちながら炎があがるのがみえた。それはあらゆる場所から、遠い場所からも見えた。すばやく、すべての人々が耳を切り裂いて、その血をあの火に向かって振りまいた。

山頂の神殿では生贄の心臓が投げ込まれた「新しい火」が明るい炎を吹き上げている。この炎から、四人の神官が巨大な松明に火を灯す。この松明の火はウィシャチテカトルの山頂からテノチティトランの大神殿へともたらされ、さらにそこから各共同体、各家庭へと運び移されていく。『フィレンツェ文書』にはその様子が次のように記されている。

そして火は広がっていった。その火は神官らの家や各地区に灯された。それはもろもろの若者宿にもたらされた。人々はその火のもとに向かい、火傷するくらいにその火を身に浴びせた。こうして火がすばやく各所に行きわたると、やっと人々は心を落ち着かせることができた。
…様々なものが新しく作られ、炉とすりこぎも新たに作られた。…それからウズラが生贄にされ、御香が捧げられた。人々は御香のかごを持ち、それを高く持ち上げて大地の四方向へ捧げた。

こうして「新しい火の祭り」は終了する。いったん闇の中に呑み込まれそうになった世界はふたたび光を取り戻し、新たな52年周期が開始することになる。


48p 二元論的宇宙論
テンプロ・マヨールの双子の神殿:太陽神と雨神の神殿が並列する。この形状はアステカの社会的原理である『二元論的宇宙論』を端的に表現している。
メソアメリカの二元論的宇宙論は、宇宙を二つの対立的、かつ相補的な領域に区分する。宇宙の一方には天空世界に属する「熱い」領域があり、もう一方には地下世界に属する「冷たい」領域がある。 天空世界:熱さ・火・光・固さ・乾燥・男性
地下世界:冷たさ・水・闇・柔らかさ・湿潤・女性

この宇宙論によると、宇宙は立体的に九層の天空世界と、同じく九層の地下世界、その中間にある地上世界から成っている。世界の中心と東西南北の四地域には巨大な世界樹が地下世界に根を張ってそびえ立ち、その根と枝で天空世界を支えている。
天空の力と地下の力はこれらの世界樹の内部をらせん運動をしながら、かたや下降、かたや上昇し、やがて地表へと到来し、合流する。
メソアメリカ宗教伝統の専門家であるA・ロペス・アウスティンはこの二種類の力の地上世界への流入こそが、この世に「万物の変動=時間」を引き起こす要因であったと述べている。

 天や地で発生したものは、四本の樹木を通って伝わる。というのも、それらの樹木は宇宙の三つのレベルをつなぐ道だからである。熱い力は天の諸階層から降りてきて、冷たい力は死者の世界から昇ってくる。聖婚と戦争を同時に意味する行為において結びつけられたこれらの二つの力は時の流れを形成し、時間が地上にあふれ出る。

テノチティトランの双子の神殿において、太陽神ウィツィロポチトリは天空の熱い力を表現し、雨神トラロクは地下の冷たい力を表現していた。この二種類の力の地上における出会いは、ロペス・アウスティンがいうように、聖婚と戦争という二面的な性格を持っていた。




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